論語

温故知新とは、孔子が論語の中で説いたものだ。
古いものを温める=学ぶこと、そしてそこから新しいものを得る。
古いは新しい。
しかしそれが学ぶに値するものかどうか見極める必要がある。
一定の評価の上で長く歴史があるものは、その基準を満たす可能性が高く一つの判断基準になるだろう。

含蓄

西郷隆盛の「南洲翁遺訓」は非常に含蓄がある。
「幾たびか辛酸をへて志はじめて堅し」
それがプロジェクトであれ、個人的な目標であれ、物事にあたる時は誰でも志らしきものや理想がある。
しかし最初の予定どおりにいく事など殆どなく、幾多の挫折は経験するものだ。
そうやって何度か辛酸をなめて、初めて志が志として機能する。
決してネガティブなのではなくて、そこまで耐えて乗り越えてからが志だ、と語っている様だ。
西郷どんは強し。

三という数字

石の上にも三年。
この三年という期間に意味はあるのか。
なんでも、三年というのが「長い」時間の事らしい。
他にも三日坊主、三日天下、三日見ぬ間の桜など、「三」が時の長短を表す言葉は多い。
三度目の正直、というのもある。
「三匹の子豚」も、二匹でも四匹でもなくやっぱり三だ。
三には深い意味がありそうだ。

PCE

ファミコンの登場から数年後、ポストファミコンとして売り出され、かなりの市場を確立したのはPCエンジン。
スーパーファミコンが出るまで、その高機能からファミコンの上位版としての見方もあった。
「カトちゃんケンちゃん」は完全オリジナルで、やった事は無いが登場そのものが衝撃的で、インパクト大だった。
ギャラガ88は移植版で、これも初代ギャラガから発展しており、良い。
ダブルのみならず、トリプルにまでなれるのがワクワクする。

井戸を見る

津波の時には井戸を見ろ、というのが古い人の教えにある。
「津波の時は井戸の水が引いて、ゴボゴボという音がする。井戸には気をつけて」と言われたらしい。
これによって震災時に助かった人も居る。
海水の移動で水圧が急に変化するから井戸水の水位や濁り方が変わるのだと思う。
こういう所にも、先人の教えが生きてくる。

続き

温故知新という言葉には、実は続きがあった。
「故きを温ねて新しきを知る」には、その後に「以って師たるべし」という言葉が続く。
昔の事をよく吟味し、そこから新しい知識を身につける。
すると、先生になれるというのだ。
以て師たるべし。
古い知識を古いまま得るのではなく、そこから新しい知識を得る為には想像力が要る。
経験も必要だろう。
師への道は遠し、という事だと思う。

中国の

中国に古くから伝わる教えの数々。
現状を抜きにして、今こそここから人種を問わず学ぶべきではないか。
「3人行くときは、必ず我が師あり。」
孔子の論語だ。
3人と道を共にすれば、その中に必ずお手本となる存在は居るものだという意味の他に、反面教師としての側面もある。
何れにしてもそこから学ぶものは多いという事だろうか。
「知るということは、我執をなくすことだ。
自分のまちがいにきがついたならば、たちどころに改めるだけの勇気がなくてはならない」
これも論語。もし最初の自分を固執するなら、学びそのものの意味がなくなる。
改めて新しいものを獲得していってこそ、生きる意味があるのだという事だろう。

継承

かつては囲炉裏端でおじいちゃん、おばあちゃんが孫に語っていた昔話。
紙芝居などもそこらでやっていたと思う。
今は活字を通して位しか接する機会もなかなかない。
時代が変わり、生活環境が変わることで、良い物が継承されていく事の難しさを感じる。
何でも、生み出す事と同じ位に継承する事は難しい。

それ以前は

ルネサンスより前、中世ヨーロッパは、古代ローマ帝国があった頃の文明の力は失ったものの、キリスト教が大いに栄え、というか、国家、社会、人々の生活のすみずみまで浸透していた。
良く解釈すれば、キリスト教のおかげで人々はきびしい毎日にたえて一生懸命に働いたり、悪いことをしないように心がけていた。
しかし、ギリシャ文明や古代ローマ帝国のような、科学やキリスト教と関係しない芸術を否定し、どちらかというと人々をしばっていた。
それでも、人々がみんな質素だったらそれでよかった。
しかし、十字軍のおかげでイタリアの都市では商業が発達して、生活にゆとりが生まれるようになった。
また、貿易により中東などの進んだ文化が入るようになった。
商人は大金持ちとなり、都市では立派な寺院が建てられるようになった。

紙ではない

パピルスは、カヤツリグサ科の植物の1種、またはその植物の地上茎の内部組織から作られる、古代エジプトで使用された文字の筆記媒体のこと。
「紙」を意味する英語の「paper」やフランス語の「papier」などは、パピルスに由来する。
ただし、パピルス紙は一度分散した繊維を絡み合わせ膠着させてシート状に成形したものではないため、正確には紙ではない。